あなたの知らない現代フランスの無情譚『レ・ミゼラブル』レビュー

映画レビューヒュー・ジャックマン

レ・ミゼラブル―このタイトルを聞くと「え、また映画化するの?」と思った人がほとんどだろう。

ヒュー・ジャックマンが主演したビクトル・ユゴー原作の「本物」の『レ・ミゼラブル』が2012年に日本でもヒットしたのは記憶に新しいが、本作はそちらとほとんど関係のない別の映画である。

しかし現在進行形の問題を描いたこちらの『レ・ミゼラブル』こそが、今この時代においては「本物」といえる作品なのかもしれない。作り手の強いこだわりや明確な目的意識がなければ、フランスを代表する歴史的名著のタイトルをそのまま拝借しようとは考えないだろう。

「ほとんど」関係ないという表現を使ったのには理由がある。舞台はパリ郊外のモンフェルメイユで、この場所がかの『レ・ミゼラブル』の舞台となった場所であり、また本作の監督であるラジ・リの出身地でもある。

かつてのモンフェルメイユがそうであったように今も治安がいいとは言えず、現在では多くのアフリカ系移民が暮らしている。

移民問題で最初に思い浮かぶのは移民側と元の住民側との摩擦だが、移民の間においてもまた軋轢が存在しており、互いに牽制し合うコミュニティを形成していることがこの映画における問題提起の根幹となっている。

本作の持つヒリヒリとしたリアリティは作り話などではなく、監督自身が実際に見てきたことでもあるのだ。

主人公の警官ステファンがシェルブールからモンフェルメイユの犯罪防止班に赴任するところから物語は始まる

彼を指導することになる班長のクリスは常に好戦的で、もう一人の班員グワダは移民の出でクリスほど粗野ではないものの、モンフェルメイユにおける「警官の在り方」を心得ている。

取り締まる側の横暴と取り締まられる側の術策―ステファンは初日からこの土地の現実を目の当たりにすることになる。

前述の通りここに暮らす移民達はそれぞれの派閥を形成しており、ある者はみかじめ料を取ってマーケットを取り仕切り、ある者は麻薬を売りさばき、そしてまたある者は強い信仰を振りかざして原理主義的な道に走る。そんな過酷な環境下での警察の仕事はやはり強権的な側面が顔を覗かせる。

強い力に対してはさらに強い力をもって対処するというのは一見理にかなったやり方ではあるが、結果的になんの成果ももたらさなかったり、はたまた状況を悪化させる悪手にもなり得てしまう。

特にさまざまな思想や文化が交差する状況なら尚更慎重になるべきだが、世界中を見渡しても未だはっきりとした解決策は見いだされておらず、このモンフェルメイユもまた例外ではない。

ステファンの赴任当日、団地に住む子どもがサーカスの小ライオンを盗んだことをきっかけとして、物語は思いもよらない展開へと進んでいく。

ほんのいたずらごころが生んだ騒動と混乱。なぜそんなことで…と思ってしまうかもしれない。しかしそれはギリギリのところで抑えられていた人々の緊張感を決壊させてしまうきっかけに過ぎなかった。

住民であれ警察であれ、結局人間は「ナメられたらいけない」というプライドの薄皮一枚のせいですべてを台無しにすることができてしまう。

その結末はフラストレーションの炸裂ではあるものの爽快感は伴っておらず、本当の弱者は誰なのか?という答え合わせを我々に突きつけてくるのだ。

しかし本作は決して救いのない物語ではない。この映画は2018年のサッカーワールドカップでフランスが優勝したシーンから始まる。

エンディングを迎えたとき、この冒頭のシーンをもう一度思い出してほしい。

シャンゼリゼ通りを人々が埋め尽くし、移民であるかは関係なく同じ「フランス人」として代表チームの勝利に沸き立ち、喜び、酔いしれるあの光景を。

モンフェルメイユに生きる移民の子どもたちはすでに二世や三世であり、出生地主義を取るフランスにおいて彼らの故郷はアフリカの異国ではなくフランスなのだ。フランス国歌の「行こう祖国の子らよ」という最初の一節は彼らすべてに当てはまる。これは自らもフランス生まれの移民であるラジ・リ監督が我々に示した一抹の希望ではないだろうか。

 

第72回カンヌ映画祭では同じように韓国の現代社会の暗部を浮き彫りにした『パラサイト 半地下の家族』とパルムドールを争い審査員賞に輝いた。現代における普遍的なテーマゆえにネガティブな側面がクローズアップされがちではあるが、諦観と絶望を感じるだけで思考停止してはいけない。真摯な問題提起は現状を良くしたいという願望と常に表裏一体であるのだから。