人種問題を問う『アメリカン・ヒストリーX』と映画のジレンマ 

映画レビュー

アメリカン・ヒストリーX 

1998年公開 

出演…エドワード・ノートンファイトクラブ真実の行方 

   エドワード・ファーロングターミネーター2 

   ビヴァリー・ダンジェロ(アニー・ホール、パシフィックハイツ) 

   ウィリアム・ラスクルージング、ライトスタッフ 

   イーサン・サプリーバタフライ・エフェクト、ウルフ・オブ・ウォー   

   ル・ストリート 

監督・撮影トニー・ケイデタッチメント 優しい無関心 

脚本…デヴィッド・マッケンナ(ブロウ、BULLY ブリー) 

音楽…アン・ダッドリークライング・ゲーム、エル ELLE 

1998年度、米アカデミー賞主演男優賞ノミネートを始め13の賞にノミネートされ、サテライト賞主演男優賞など4つの賞を受賞。主演を務めたエドワード・ノートンの演技が絶賛された。 

ストーリー 

白人至上主義組織「ネオナチ」のリーダー、デレク・ヴィンヤード(エドワード・ノートン)は、黒人の車泥棒の少年を殺した罪で、3年間服役していた。彼の弟のダニーはデレクのカリスマ性と白人至上主義思想に陶酔しており、兄の帰りを心待ちにしていた。しかし出所してきたデレクは、以前とは別人でネオナチをやめようと決心していた。変わってしまったデレクにダニーや仲間達は困惑し、次第に衝突していく。デレクは刑務所でどのような経験をしたのか。 

過去と現在を交互に描きながら、未だ現代社会に蔓延する差別意識へ問題提起した衝撃作。 

 差別問題と宗教的思想

人種差別問題を描いた素晴らしい作品は数多く存在する。この作品はその中でも特筆すべき作品である。差別問題を兄弟や友人といった身近な存在を通して描いている。問題提起を直接的に描いている様でそうではない。重厚な人間ドラマの中に問題が浮き上がってくる。 

この作品の構成は興味深く、過去(モノクロ)と現在(カラー)が交互に進行する。過去パートに比例して、ダニーの心も変化していく。刑務所での堪え難い経験、そしてうまくいくはずだった事が、衝撃的な形で終焉を迎える。憎しみが憎しみを生んでしまうという事実を、最善の形で表現していた。 

また、ネオナチの様な集団思想を通して、差別問題とはいわゆる集団ヒステリーの様なもの、感情が先行してしまうことの恐ろしさを提示していると感じた。 

 デレクとダニー

デレクを演じたのは、エドワード・ノートン。彼のデビュー作は、1996年の『真実の行方』で、オーディションで2000人以上の中から抜擢された。彼はこの役で、いきなりオスカーにノミネートされ、それからは演技派として着実にキャリアを重ねていった。今回の作品では役作りのためパンプアップし、14キロの体重を増量した。そして、翌年の『ファイトクラブ』では、今度は体重を落とし、華奢な会社員を演じている。デ・ニーロアプローチというこの様な極端な役作りをする事ができる俳優である。 

ダニーはエドワード・ファーロング『ターミネーター2』でデビュー、大ブレイクした。しかしその後はパッとせず、アルコール依存症などを患い、当時の人気子役のテンプレートの様なキャリアを歩んでしまった。今作は、まだ彼が変化してしまう前の貴重な一作。演技も自然体で、葛藤する場面では真に迫っていた。 

モノクロとカラー世界

監督のトニー・ケイはこの作品がデビュー作で、撮影監督も兼任している。広角レンズを用いた撮影が印象的で、要所でのドキュメンタリータッチが効果的だった。またモノローグの部分では逆に、ハイスピード撮影などを使用した、とても絵画的な映像表現が素晴らしかった。次作の『デタッチメント 優しい無関心』でも同じ様な撮影手法を使っており、今作よりもその手法が強調されていた。作品的にも素晴らしいので、興味があればそちらの作品も必見である。 

アラン・スミシー

映画好きなら一度は聞いた事がある名前「アラン・スミシー」。この名前は、監督が降板した時や、何か問題があって監督の名前をクレジットできない場合に用いられる名義である。実はこの作品の監督クレジットも、もしかしたらこのアラン・スミシー」になっていたかもしれない。この作品の上映時間は119分であるのだが、当初監督であるトニー・ケイは、およそ90分にまとめていた。しかし公開間近になって、主演のエドワード・ノートンが再編集を施した形で公開された。二人の間に何があったのか、ディティールはわからないが、この様な結果になってしまった。そういった経緯で、トニー・ケイが監督のクレジットをアラン・スミシーしようとした。しかしこれが却下され、訴訟問題になった。ちなみに「アラン・スミシー」は2000年に廃止になっている。 

まとめ

冒頭で、『人種差別問題を描いた素晴らしい作品は数多く存在する。』と記述したが、これは裏を返せば、人種差別問題がなくならない限り、それに対する問題提起、つまり映画が生まれるという事である。しかし私たちはこういった問題に触れ、知るために映画を観る。これはある種のジレンマである。 

世の中に有害な意識が存在する限り、映画は訴え続ける。